歴史ニュース

    1: 名無しさん必死だな 2021/09/09(木) 20:35:25.54 ID:21mWaq+E00909
     コーエーテクモゲームスは、「シブサワ・コウ 40周年記念小判(52/24g)」及び「シブサワ・コウ 40周年記念メダル」を2022年2月初旬に発売する。価格は小判(52g)が1,144,000円(税込)で、小判(24g)が528,800円(税込)、メダルが165,000円(税込)。なお、小判(24g)は先着5名限定でシブサワ・コウ氏の名にちなんだ423,850円(税込)で販売される。

     本記念アイテム群はシブサワ・コウ氏が「川中島の合戦」を手掛けてから40年が経過したことを記念して発売されるもの。小判(52g)及びメダルには初期の作品を象徴するアイコンとして織田信長の顔があしらわれており、小判(24g)にはシブサワ・コウ氏が手掛けた代表的な作品の人物として「信長の野望」シリーズの織田信長、「三國志」シリーズの曹操、 劉備、 孫権、「仁王」シリーズのウィリアム・アダムスが描かれた3種がラインナップ。現在GAMECITYオンラインショッピングにて注文受付が行なわれている。

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    https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1350010.html

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    1: 樽悶 ★ 2021/09/01(水) 18:45:15.59 ID:0mA9sZPN9
    取り壊し方針が決まった久昌寺=愛知県江南市田代町郷中で2021年8月27日、川瀬慎一朗撮影
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    久昌寺の西にある江南市文化財に指定されている吉乃の墓(右端)など生駒家石造群。墓には「織田信長公室」と書いてある=愛知県江南市田代町郷中で2021年8月27日、川瀬慎一朗撮影
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     戦国武将・織田信長の最愛の女性で、信長との間に後の岐阜城主となる信忠らをもうけたとされる側室、吉乃(きつの)の墓がある久昌寺(きゅうしょうじ)(江南市田代町)が近く取り壊されることが分かった。老朽化に伴い維持管理が難しくなったためで、跡地は市に売却され、公園として整備される見込み。市民や歴史ファンらからは「貴重な歴史遺産を残してほしかった」と惜しむ声が上がるが、630年以上とされる歴史に幕を下ろすことになる。【川瀬慎一朗】

     「江南市史」などによると、吉乃は地元有力者だった生駒氏の娘。寺は1384年創立で生駒家の菩提寺にあたる。吉乃は生駒家の屋敷で暮らしていた時に信長と出会い側室となった。長男信忠、次男信雄、後に徳川家康の長男信康の妻となった徳姫をもうけたとされる。信長は正室、濃姫との間に子どもがおらず、吉乃は織田家の中で存在感があったとみられる。若くして亡くなったとされ、冷酷非情とされる信長がその死に涙を流して惜しんだと伝わる。信長は香華料として660石を寺に与えたという。

     寺の現在の本堂は1925年建築。庫裏は不明だが、江戸期とみられる。寺の西側にある吉乃の墓は、生駒家歴代当主の墓と共に市文化財に指定されており、今回の取り壊しや売買の対象にはならない。しかし、寺がなくなった後にも墓標は立ち続けることになり、どのように保存、継承していくかが課題となる。

     寺を所有する宗教法人役員の19代生駒家当主、生駒英夫さん(48)によると、寺には約60年前から専属住職はおらず、檀家も約10軒という。長年維持管理が課題になっており、約5年前から取り壊しを検討。耐震化や雨漏りの問題があるが、費用面から改修は困難だったという。本堂内にあった吉乃や信長の位牌はすでに別の寺などに移しており、英夫さんは「信長ゆかりで先祖の菩提寺でもある歴史的な寺なので残したい思いはあったが、檀家も少なく財政的にやむを得ない」と話した。

     市によると、寺の境内南側は92年、北側は2012年から市に無料貸与され久昌寺公園として整備。20年8月、所有者側がこの無料貸与している土地を無償で市に譲渡し、本堂と庫裏の取り壊し後の跡地約1600平方メートルの買い取りを要望。市は所有者側と交渉を重ね購入の方針を決めた。

     9月2日開会の9月定例議会に土地鑑定、測量予算約59万円を計上する。22年度中に取り壊し・購入、23年度に公園として整備するという。

     同寺の案内もするボランティア団体「市歴史ガイドの会」の川田圭一会長は「歴史を伝える寺が無くなることは寂しい。皆で維持費を集められれば良かったが」と肩を落とした。その上で、「忘れ去られてしまわないよう、どこかに寺のことを伝える場を作ってほしい」と望んだ。


    https://mainichi.jp/articles/20210829/ddl/k23/040/107000c?inb=ra

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    1: haru ★ 2021/09/10(金) 17:50:41.79 ID:TlYN5Mo+9
    織田信長や明智光秀による「比叡山焼き打ち」から今年で450年の節目となるのに合わせ、
    天台宗総本山比叡山延暦寺(大津市)は12日、信長と光秀の子孫を招いて犠牲者の慰霊法要を営む。

    オンライン形式によるシンポジウムで、両者らが特別対談をする。

    焼き打ちは元亀2(1571)年9月12日で、延暦寺は「元亀の法難」と呼んでいる。

    法要は境内に鎮魂塚を建立した1992年以降、同日に毎年実施。
    敵も味方もなく施すべきだという「怨親平等」の精神で、犠牲者だけでなく信長自身も殉難者として供養してきた。

    光秀は焼き打ちで重要な役割を果たしたとして、領地を与えられた。

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    https://nordot.app/808970143411732480

    【【武将】比叡山焼き討ちから450年、織田信長と明智光秀の子孫が対談】の続きを読む

    1: マスク着用のお願い ★ 2021/07/07(水) 20:56:03.51 ID:YdbQjALw9
    https://nordot.app/785474072691064832
    清水寺に尊氏、信長らの書状原本
    応仁の乱後の天皇綸旨も

    清水寺(京都市東山区)は7日、境内にある成就院の書庫から足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本など194点の古文書を発見したと発表した。このうち53点は新発見。尊氏らの文書は写しがあり、内容は知られていたが、原本は所在が分かっていなかった。歴代天皇の書状も見つかり、清水寺と歴代権力者との関係をひもとく貴重な手掛かりになるという。


    【【京都府】清水寺、足利尊氏や織田信長、豊臣秀吉らの書状の原本など194点の古文書を発見したと発表】の続きを読む

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